2019年8月7日水曜日

さらば、感情労働。

最近、死のうと思ったことがある。
これまでも、死のうと思ったことはある。
最近は少なくなってきていた。
久しぶりだった。

一体、何があったのか?
自分に問いかけた。

空腹感はあるのに、食べたいものがわからない状況が続いていた。
それが、私自身からの無言のメッセージだった。

具体的に、何があったというわけではなく
今までの無理が積もり積もって、今回の死のうは起きたようだ。

しばらく、様子を見ることにした。

今、出かけたいときに出かけられないし
食べたいときに食べられないし
いつどこから連絡があるかわからないし
という感じで、心の休まる時が無いのも理由のひとつだとわかった。

これに関しては、他者とも相談した。
その結果、ゆくゆくはもっと自由になれそうだ。

問題は、他にもあるらしかった。
そして、今日、言葉になった。



これだ。
きっとそうだ。

Twitterには書ききれなかったけれど続きがたくさんある。

私は、母のお腹の中で自殺をはかったのではないかと自分では思っている。
逆子で、へその緒が首に巻き付いていたからだ。

夫婦喧嘩が絶えなくて、お腹の中まで聞こえていたに違いない。
母のイライラも感じていたに違いない。
きっと、父のも。
さっそく、生まれる前から、死のうと思ってしまったのではないか?

生まれてからも、物心ついてからは常に周囲の機嫌を気にしながら生きてきた気がする。
実家では常に怒声が響いていた。
学校ではいじめが。
何度も死のうと思った。
というか、毎日死にたかった。

最初の就職先はサービス業。
とにかく、実家から経済的に自由になりたくて就職した。
その先も、転職を繰り返すが、気が休まることはなかった。

潜在意識に刷り込まれて、そういう職場を選んでしまったのかもしれない。
(驚くほど、実家と似ていた。)

今は、わりと大丈夫な業務内容になっている。
通勤ゼロ秒なので、職場の人と顔を合わせることもない。
誰かと一緒にいるだけれ気を使ってしまう私としてはとても助かる。
(そして、その気の使い方というのは余計なお世話であり、空回りが多いため
実際、離れていた方がお互い楽なのだ。)

少し前までは、FAXの紙面作成だけではなく顧客との調整などもしていたが
私には向いていないとわかったので今後は関わらないようにしたいと伝えてみた。

とはいえ、顧客対応は1年契約なのでそんなにすぐに全部がなくなるわけではない。
しかし、確実に、私にとって楽な方向に進んでいる。

思うに、向き不向きがあるのではないか?

私のように、これまでの人生で他人の顔色を伺うことが生活習慣病のようになってしまっている人に、感情労働は向いていない。
しかも私は、他者の感情を感じやすいタイプだ。
だから、さらに消耗してしまう。

感情労働にしなくていい部分まで
感情労働化してしまうきらいがある。

実のところ、接客業というのは、他者の顔色を伺わず感情も感じにくい人の方が向いている気がする。
顧客満足度の問題はさておき、自分自身がその仕事をどこまで続けられるかに関してだけ言うのであれば。
とはいえ、こんなスタッフばかりだと接客業としては成り立たないかもしれない。
だから、会社が潰れて結局職を失うことになるかもしれない。

会社が潰れても、自分が潰れなければ
職を失ったって、命はある。

私は、自分の思い込みにも気づいた。
それは、接客業は愛想良くしないといけないというものだ。

自分にこれを課していたため、他者にも求めてしまっていた。
自分が客としてお店に行った場合などに
店員の態度が気に入らないと、接客業なんだからもっと愛想良くすべき
と思って密かにイライラしていた。

これからは、店員の態度が気に入らなくても
気にしないようにしてみることにした。
接客業だから○○すべき
というのは止すことにした。

できない人には、できないのだ。
その人は、そういう人なのだ。

とはいえ、ぞんざいな扱いは悲しい。
そう思うのも自分の自由だ。
たぶん、誰だって、ぞんざいに扱われるのは好きではないのではないか?

だから、無理なく私の好む感じで接することのできる人のいるところに
行けばいいのかもしれない。