謎が、ひとつ解けた気がした。
実家に行った時のことだった。
私はなぜ、母がこのイエと人生の大半を過ごすことになったのかについて
ずっと疑問に思っていた。
いろいろな切り口から、自分なりに理由付け、納得しようとしてきた。
けれども、本当のところは納得できなかった。
私は、母は女性であることが嬉しい世界と悲しい世界
両極端の世界を経験するために、あのイエを選んだのではないか?
と今では思っている。そして、わりと納得できている。
先週末、雨だった。
嫌だな、と思ったけれど、実家に行ってみた。
案外、好天だった。
母の近況報告や愚痴を聞いた後、片付けに取り掛かった。
今回は、なんと、母の封印されていたグッズの数々だった。
このイエに来てから、オシャレを楽しむことができなくなったらしい。
いろいろ発掘された。
そして、私に要らないかと言ってくるので、ほぼ断った。
その作業の間に、私は思った。
極論としては、私はこのイエには不要な存在だ。
(イエは、男性だけいれば成り立つのだから。少なくとも、私のイエではそういう考えがまかり通っている。)
けれども、その不要な存在の私は不要なわりにとても親切にしてもらえた。
だから、私はとてもラッキーだ。
私はこれまで、不要な存在であることについて嘆いてばかりいたのだが
見方がガラリと変わった。
べつに、このイエに必要とされなくても嘆くことはないのだ。
このイエが要らないというのなら、どこか別の場所に私の居場所があるのだ。
全世界が私を要らないと言っているわけではない。
それに、全世界が私を要らなかったとしても、私が私を必要とすればいいのではないか?
しかし、それが最も難しいことだったりもする。
そして、それをできたなら、世界中から必要とされるようになるのかもしれない。
それはさておき、このガラリが起きた日、私は母に母方の先祖のことを尋ねた。
それは、ずっと尋ねたことのないことだった。
母のグッズには、母の母や親戚の誰々がなんとかとかそういうのも含まれていたので
それがきっかけになった。
そして、私は知った。
母は、女性であることを悲しんだり恥じたりしなくてもいいところに生まれた。
家系的にそうなのだ。
母の祖父は、母の母にこう言ったらしい
「女で結構、女で幸い」
母の母は3人姉妹の末っ子だそうだ。
父親に、自分が女性でがっかりしなかったのかと尋ねた時の返事らしい。
イエの考えなら、次回こそは男児を!みたいな
かなり気の重い状況で生まれてきた立場だけれど
母の祖父には、そういうところが無かったようだ。
ずいぶん前なのに、かなり先進的な考えの持ち主だ。
私の母方の曽祖父は、イエ的思想の持ち主ではないらしい。
そんな人が大昔に存在したことにビックリした。
母も、5人きょうだいの末っ子だ。
しかも、上の4人はすべて男性。
これこそ、次回こそ男児を!とは程遠いところで生まれた例だ。
こんな世界もあるのだな、と妙に納得した。
最初にあたたかい世界で暮らして、後に真逆の世界に身を投じることを決めて
生まれてきた母だけれど、最後はハッピーエンドになってくれるといい。
もう、愚痴は聞きたくない。