週末、実家に行き始めて、どのくらい経ったろう?
今のところ、続いている。
迷うことはあるが、結局行っている。
今週も、迷った。
大宮の埼玉ミネラルマルシェが行かない理由として挙がった。
かつて購入した石屋さんが律儀にDMを送ってくれる。
嫌いじゃないから、断らずにいる。
今年もそんな季節になった。
何を隠そう、私は鉱物が好物なのだ。
久しぶりの、石。
全日参加したい。
金曜は無理だとしても、土日両方。
お天気も悪そうだし、屋内でゆっくり過ごすのだ。
な~~~んて、思ったりした。
でも、もうひとりの私が言った。
もし、来週、母が死ぬとしたら・・・?
確かに、そうだ。
母とはこれまでいろいろあったけれど、もしそんなことになったら、今週末実家に行かなかったことを後悔するに違いない。
やっぱり、行こう。実家に行こう。
雨なら、アルバムの整理でもしたらいい。
雨だからゴミを出せないとか言っている母のことを責めているくせに
自分が雨を理由に実家に行かないというのはおかしな話だ。
とはいえ、雨の中、これ見よがしに実家に行くのもどうかと思えた。
最近、FAXDMの活動が活発化してあまり休めていないし
ここはひとつ、なにもしない日を設けて自分だけの時間を過ごすべきなのではないか
そんな声も聞かれた。
でもやっぱり、行くことにした。
私は遺品整理のFAXDMの紙面を書いたばかりだった。
特殊清掃のことも、調べて書いた。
まるで、未来の自分のことのようだった。
実家に特殊清掃が入ることになったらせつない。
やっぱり、できる限りのことは自分でしよう。
未来に一気に片付けるか、今ちょっとずつ片付けるかなのだ。
今の方がいいに決まっている。
片づけと、母の話を聴くのでヘトヘトになるけれど、ひとまず行ってみよう。
2019年3月28日木曜日
2019年3月24日日曜日
夢枕
今日は、特記事項がある。
これは書かねばなるまい。
今週末も、散々迷った挙句、実家に行った。
今回は書籍の処分がメインになった。
140kg近く、1輪車で5、6往復して運んだ。
近所のスーパーでリサイクルできるらしく、そこに持って行くことになったのだ。
それはさておき、今週末の帰り際、母が意外なことを言った。
いつもは、否定ばかりするのに。
父が見守ってくれているかもしれないと私が言ったのに対し
そうかもしれないと答えたのだ。
これは、もう、私の人生の中で1位2位を争う画期的な出来事だった。
母が言うには、最近不思議なことがあったそうだ。
父が夢に出てきて、正座して、母に告げたらしい。
何でも自由にしていいんだと。
これまた、いまだかつてない発言だった。
父が生きていたら、こんなことは絶対に言いそうにない。
不思議なこともあるものだ。
片づけが進んだから、停滞していたエネルギーが解きほぐされ、いろいろ現実に変化が生じ始めたのだろうか?
これは書かねばなるまい。
今週末も、散々迷った挙句、実家に行った。
今回は書籍の処分がメインになった。
140kg近く、1輪車で5、6往復して運んだ。
近所のスーパーでリサイクルできるらしく、そこに持って行くことになったのだ。
それはさておき、今週末の帰り際、母が意外なことを言った。
いつもは、否定ばかりするのに。
父が見守ってくれているかもしれないと私が言ったのに対し
そうかもしれないと答えたのだ。
これは、もう、私の人生の中で1位2位を争う画期的な出来事だった。
母が言うには、最近不思議なことがあったそうだ。
父が夢に出てきて、正座して、母に告げたらしい。
何でも自由にしていいんだと。
これまた、いまだかつてない発言だった。
父が生きていたら、こんなことは絶対に言いそうにない。
不思議なこともあるものだ。
片づけが進んだから、停滞していたエネルギーが解きほぐされ、いろいろ現実に変化が生じ始めたのだろうか?
2019年3月7日木曜日
2019年うお座新月のあたりに起きた大浄化
最近、書いてなかった。
今夜、一気に書いた。
前とその前の投稿を書いて、泣いた。
なんだか、自分の家族がとっても素敵な家族に思えてきた。
うまく言葉にできない。
とにかく、何かが変わった気がする。
父は母を愛していたのか?
と
母は父を愛しているのか?
の次は
私は父母に愛されていたのか?
と
私は父母を愛しているのか?
を書きたくなった。
まとまらないから、別の時に書こう。
このブログに書いてあることもまとまりがないけれど、言葉になる以前のまとまらなさ。
実家の片づけ、効いているのかもしれない。
片づけで開運って、本当なのかもしれない。
開運の為、というよりは将来一気に片付けなくても済むように片付けているのだけれど。
明日、金曜。迷う。
どうしよう・・・?
今夜、一気に書いた。
前とその前の投稿を書いて、泣いた。
なんだか、自分の家族がとっても素敵な家族に思えてきた。
うまく言葉にできない。
とにかく、何かが変わった気がする。
父は母を愛していたのか?
と
母は父を愛しているのか?
の次は
私は父母に愛されていたのか?
と
私は父母を愛しているのか?
を書きたくなった。
まとまらないから、別の時に書こう。
このブログに書いてあることもまとまりがないけれど、言葉になる以前のまとまらなさ。
実家の片づけ、効いているのかもしれない。
片づけで開運って、本当なのかもしれない。
開運の為、というよりは将来一気に片付けなくても済むように片付けているのだけれど。
明日、金曜。迷う。
どうしよう・・・?
母は父を愛しているのか?
実家の片づけをしていると、色々な発見がある。
私にとっての史上最大の謎「父は母を愛していたのか?」と比肩する
「母は父を愛しているのか?」も解けつつある。
結論としては、本人は気付かないけれど愛しているのだ。
少なくとも、私はそう思う。
先日本人にたずねたけれど、「好き」ではないらしい。
(「愛してる?」とは尋ねにくかった。)
しかし、私が知ったところによれば、母は毎日朝晩仏壇に手を合わせている。
お供え物もちゃんと取り換えている。
おりんもとてもいい音だ。
もし、○○家の嫁ということだけで実行しているのであれば
奇跡だと思う。
あるいは、愛着がわいたのだろうか?
そして、度々聞かされた愚痴も、もしかしたら、本当は好きだから出てしまったものなのかもしれない。
・・・ということは、母も父と同じく片想いなのか?
お互いに、片想いなのか?
父は、毎日2回仏壇の世話をする母に満足しているのだろうか?
あるいは、不満ばかり述べているのだろうか?
私の印象としては、ふたりはいつもお互いにけなし合っていたのだけれど・・・。
人生の役目を終えたら、父は別人のようになって天国からそっと見守っているのだろうか?
あんなに意地悪したのに、こんなに世話してくれてありがとう、あれはね、言い訳させてもらうとね、修行の一環だったんだよ、演技なんだよ・・・と言っているのだろうか?
(生前の本人なら絶対に言いそうにない口調・・・)
私は私の願いに気付いた。
いつか母も私も生きているうちに(どちらが先に死ぬかわからない)母の口から父に対するポジティブな見解が飛び出す瞬間に立ち会いたい。
このふたりは、永遠の謎だ。
とにもかくにも、たぶん、母は父を愛しているのだと思う。
父のこと、ちっとも好きじゃないと言うわりには
おりんを鳴らすと気付いてもらえそうな気がするとか言っていたし。
義務だけで毎日ちゃんと仏壇の色々はできないはずだから。
(私が見る限りでは、形式的に済ませている感じはしない。)
ひとまず、そう思い込んで勝手に救われておくことにする。
たとえ本人が否定しても・・・。
私にとっての史上最大の謎「父は母を愛していたのか?」と比肩する
「母は父を愛しているのか?」も解けつつある。
結論としては、本人は気付かないけれど愛しているのだ。
少なくとも、私はそう思う。
先日本人にたずねたけれど、「好き」ではないらしい。
(「愛してる?」とは尋ねにくかった。)
しかし、私が知ったところによれば、母は毎日朝晩仏壇に手を合わせている。
お供え物もちゃんと取り換えている。
おりんもとてもいい音だ。
もし、○○家の嫁ということだけで実行しているのであれば
奇跡だと思う。
あるいは、愛着がわいたのだろうか?
そして、度々聞かされた愚痴も、もしかしたら、本当は好きだから出てしまったものなのかもしれない。
・・・ということは、母も父と同じく片想いなのか?
お互いに、片想いなのか?
父は、毎日2回仏壇の世話をする母に満足しているのだろうか?
あるいは、不満ばかり述べているのだろうか?
私の印象としては、ふたりはいつもお互いにけなし合っていたのだけれど・・・。
人生の役目を終えたら、父は別人のようになって天国からそっと見守っているのだろうか?
あんなに意地悪したのに、こんなに世話してくれてありがとう、あれはね、言い訳させてもらうとね、修行の一環だったんだよ、演技なんだよ・・・と言っているのだろうか?
(生前の本人なら絶対に言いそうにない口調・・・)
私は私の願いに気付いた。
いつか母も私も生きているうちに(どちらが先に死ぬかわからない)母の口から父に対するポジティブな見解が飛び出す瞬間に立ち会いたい。
このふたりは、永遠の謎だ。
とにもかくにも、たぶん、母は父を愛しているのだと思う。
父のこと、ちっとも好きじゃないと言うわりには
おりんを鳴らすと気付いてもらえそうな気がするとか言っていたし。
義務だけで毎日ちゃんと仏壇の色々はできないはずだから。
(私が見る限りでは、形式的に済ませている感じはしない。)
ひとまず、そう思い込んで勝手に救われておくことにする。
たとえ本人が否定しても・・・。
父は母を愛していたのか?
実家の片づけをしていると、いろいろな発見がある。
私は、これまで、父は母を愛していなかったと思っていた。
しかし、どうやらそうでもないかもしれないらしいということがわかった。
父の歌が発見されたのだ。
「愚歌集」と題された巻物に、五七五七七が並んでいた。
母のことも詠んであった。
関連する固有名詞があったので、たぶん、別の人のことではないと思う。
父はもう他界したから、本人に尋ねるわけにはいかない。
それに、尋ねたところで、本当の答えが返って来る保証はない。
だから、私は勝手に救われておくことにした。
この歌たちは、本物に違いない。
彼の真心が籠っているのだ。
母が否定しようとも、私は勝手に思い込んでおくのだ。
人生に最も必要な力は、学力でもなく、経済力でもなく、思い込み力だ。
私はずっとふたりの喧嘩を目の当たりにしながら過ごした。
だから、ふたりは仲が悪いと思っていた。
折に触れ、こっそり母が父を悪く言うのを聞かされ、父のことを悪く思い過ぎていたのだと今では思う。
思い込み力がマイナスの方に働いてしまったのだ。
実家を離れ、ずいぶん経った今、客観的に考えて、父はそこまで悪人ではない気がする。
先日も、母は「ずいぶん冷酷な人」だと言っていたが・・・。
ま、少なくとも、父は母のことを好きな時期もあったらしい
ということがわかってホッとした。
私はふたりが恋愛結婚ではないことについて負い目を感じていたのだ。
思うに、ふたりの場合は父の「片想い婚」かもしれない。
というのも、先日母に確かめたところによれば、父のことを好きだと思ったことはないらしいから。
時代が時代だから、結婚せざるを得なかったらしい。
父は80代、母は70代だ。
私との間は、一世代入るくらい離れている。
・・・となると、オバはかなり特異な存在だと思う。
起業し一家の大黒柱となり、働きづめだった。今は90を過ぎている。
母は今、このオバの世話をして暮らしている。
とにもかくにも、ちょっとでも好きだった部分があったみたいなので、子供としてはほっとした。
父は、母に振り向いて欲しくて、ずっと酷いことをしていたのかもしれない。
経済的には自分のものにできても、それ以外の部分で難しさを感じていたのかもしれない。
好きだからこそ、というのが理解できた今となっても、やはり、父の言動はどうかと思う部分がある。
そういう役割を決めて生まれてきたのだろうけれど。
父のことを悪く書いているからといって、母のかたを持つつもりもない。
お互い様だと思う。
単に、相性が悪かっただけなのだ。
きっと、それぞれ別の人と暮らしていたら、うんと満足いく人生だったのかもしれない。
けれども、あえてふたりで居ることを選んだ、というのは何か惹かれるものがあったのかもしれない。
特に父は、離縁もできたろうに。
私は、ずっと父が世間体の為に離婚しないでいたのだと思っていたのだけれど
案外、母を離したくなかっただけなのかもしれないと思えてきた。
そういえば、父は食事の時にたまにこんなことを言っていた。
キャバクラとかには絶対に行かない、お金払ってモテてもちっとも楽しくない。
これは、つまり、遠回しに母のことが好きだと言いたかったのではないか?
キャバクラなんて行かない
と言っておきながら器用に通っている人もいるのかもしれないけれど
父に限っては、絶対に、本当に、キャバクラに行っていそうではなかった。
もしかして、小心者だから行けなかったのでは?
とも思うけれど。
これも、実は、母に嫌われたくないからなのかもしれない。
父の努力もむなしく、母は、充分すぎるほど父を嫌っていたけれど。
父は父なりに、母に気を遣っていたのかもしれない。
今になって悔やまれるのは、父ともっと話をしておけばよかったということだ。
私は父を嫌っていた、というよりは極度に恐れていたために
なかなかそういった機会を作ろうとしなかったのだ。
機会よりも言い訳を作り、ずっと実家を避けていた。
母が言うよりもうんと父は素敵な人だったのかもしれない。
私は、これまで、父は母を愛していなかったと思っていた。
しかし、どうやらそうでもないかもしれないらしいということがわかった。
父の歌が発見されたのだ。
「愚歌集」と題された巻物に、五七五七七が並んでいた。
母のことも詠んであった。
関連する固有名詞があったので、たぶん、別の人のことではないと思う。
父はもう他界したから、本人に尋ねるわけにはいかない。
それに、尋ねたところで、本当の答えが返って来る保証はない。
だから、私は勝手に救われておくことにした。
この歌たちは、本物に違いない。
彼の真心が籠っているのだ。
母が否定しようとも、私は勝手に思い込んでおくのだ。
人生に最も必要な力は、学力でもなく、経済力でもなく、思い込み力だ。
私はずっとふたりの喧嘩を目の当たりにしながら過ごした。
だから、ふたりは仲が悪いと思っていた。
折に触れ、こっそり母が父を悪く言うのを聞かされ、父のことを悪く思い過ぎていたのだと今では思う。
思い込み力がマイナスの方に働いてしまったのだ。
実家を離れ、ずいぶん経った今、客観的に考えて、父はそこまで悪人ではない気がする。
先日も、母は「ずいぶん冷酷な人」だと言っていたが・・・。
ま、少なくとも、父は母のことを好きな時期もあったらしい
ということがわかってホッとした。
私はふたりが恋愛結婚ではないことについて負い目を感じていたのだ。
思うに、ふたりの場合は父の「片想い婚」かもしれない。
というのも、先日母に確かめたところによれば、父のことを好きだと思ったことはないらしいから。
時代が時代だから、結婚せざるを得なかったらしい。
父は80代、母は70代だ。
私との間は、一世代入るくらい離れている。
・・・となると、オバはかなり特異な存在だと思う。
起業し一家の大黒柱となり、働きづめだった。今は90を過ぎている。
母は今、このオバの世話をして暮らしている。
とにもかくにも、ちょっとでも好きだった部分があったみたいなので、子供としてはほっとした。
父は、母に振り向いて欲しくて、ずっと酷いことをしていたのかもしれない。
経済的には自分のものにできても、それ以外の部分で難しさを感じていたのかもしれない。
好きだからこそ、というのが理解できた今となっても、やはり、父の言動はどうかと思う部分がある。
そういう役割を決めて生まれてきたのだろうけれど。
父のことを悪く書いているからといって、母のかたを持つつもりもない。
お互い様だと思う。
単に、相性が悪かっただけなのだ。
きっと、それぞれ別の人と暮らしていたら、うんと満足いく人生だったのかもしれない。
けれども、あえてふたりで居ることを選んだ、というのは何か惹かれるものがあったのかもしれない。
特に父は、離縁もできたろうに。
私は、ずっと父が世間体の為に離婚しないでいたのだと思っていたのだけれど
案外、母を離したくなかっただけなのかもしれないと思えてきた。
そういえば、父は食事の時にたまにこんなことを言っていた。
キャバクラとかには絶対に行かない、お金払ってモテてもちっとも楽しくない。
これは、つまり、遠回しに母のことが好きだと言いたかったのではないか?
キャバクラなんて行かない
と言っておきながら器用に通っている人もいるのかもしれないけれど
父に限っては、絶対に、本当に、キャバクラに行っていそうではなかった。
もしかして、小心者だから行けなかったのでは?
とも思うけれど。
これも、実は、母に嫌われたくないからなのかもしれない。
父の努力もむなしく、母は、充分すぎるほど父を嫌っていたけれど。
父は父なりに、母に気を遣っていたのかもしれない。
今になって悔やまれるのは、父ともっと話をしておけばよかったということだ。
私は父を嫌っていた、というよりは極度に恐れていたために
なかなかそういった機会を作ろうとしなかったのだ。
機会よりも言い訳を作り、ずっと実家を避けていた。
母が言うよりもうんと父は素敵な人だったのかもしれない。
のるかそるか
今週末、実家に行こうかどうか、迷っている。
自分と相談中。
実家の片づけは、なんだか楽しくなってきたから行きたい気もする。
けれども、体力的に持たない気もする。
次回行ったら、4週連続だ。
片づけだけなら3週だけれど。
この疲れは、片付けのせいなのか、なんなのか?
移動のせいだろうか?
それとも、FAXDM・・・?
最近、真夜中まで原稿を書いていたりして、限界が来たのだろうか?
今朝は、目がとても疲れた感じがした。
昨日も、そうだった。
そこで、目を労わることにしたのだけれど、あまりできていない。
昨夜に比べたら、疲れた感じがしないのは、明日が金曜だからだろうか?
あと1日頑張れば、ひとまず休みだ。
これって、なんか違う気がする。
以前は365日24時間FAXDMという時期もあったのだけれど
試験的に取り組んでみてわかったのは、無理、ということだった。
というわけで、今は平日の日中をFAXDMの時間にしている。
なかなかこれだけで終わらない時もあるけれど。
それに、本当は平日休みがいいのだけれど
現時点では平日の日中に絞ってやり取りをするのが
最も効率的だと思うから、仕方なくしている。
全く休みが無いよりは、ずいぶんマシだ。
少ないところは切って多いところに注力するのだ。
文句があれば、土日祝の取引先を探してそちらに移行すればいいのだろうけれど
今のところそういうのは止しておくことにしている。
そうそう、今週末、実家に行くか行かないかだった。
うぅむ。
究極的な話をするならば、もし今週末で人生が終わるとしたら行くだろう。
しかし、終わらないとしたら・・・?
平日はFAXDM、週末は実家、そして日曜夜はFAXDM
という感じで回していたら
自分だけの時間が無くなってしまっていることに気付いた。
もちろん、実家に行くのだって自分の為でもあるけれど、ちょっと違う。
FAXDMも、自分の為という側面はあるけれど、これもちょっと違う。
まったく誰のことも気にしなくてもいいのなら、自分は何に時間を使うのだろう?
今週末の先も、恐らく人生は続くだろうから
もし実家に行かないとしたらPCのメンテナンスとかするんだろうか?
自分の今の家の片づけとか?
あるいは、自然と触れ合いに行くとか?
普段存在しない場所で普段しないことをしたほうが良さそうな気はする。
自分と相談中。
実家の片づけは、なんだか楽しくなってきたから行きたい気もする。
けれども、体力的に持たない気もする。
次回行ったら、4週連続だ。
片づけだけなら3週だけれど。
この疲れは、片付けのせいなのか、なんなのか?
移動のせいだろうか?
それとも、FAXDM・・・?
最近、真夜中まで原稿を書いていたりして、限界が来たのだろうか?
今朝は、目がとても疲れた感じがした。
昨日も、そうだった。
そこで、目を労わることにしたのだけれど、あまりできていない。
昨夜に比べたら、疲れた感じがしないのは、明日が金曜だからだろうか?
あと1日頑張れば、ひとまず休みだ。
これって、なんか違う気がする。
以前は365日24時間FAXDMという時期もあったのだけれど
試験的に取り組んでみてわかったのは、無理、ということだった。
というわけで、今は平日の日中をFAXDMの時間にしている。
なかなかこれだけで終わらない時もあるけれど。
それに、本当は平日休みがいいのだけれど
現時点では平日の日中に絞ってやり取りをするのが
最も効率的だと思うから、仕方なくしている。
全く休みが無いよりは、ずいぶんマシだ。
少ないところは切って多いところに注力するのだ。
文句があれば、土日祝の取引先を探してそちらに移行すればいいのだろうけれど
今のところそういうのは止しておくことにしている。
そうそう、今週末、実家に行くか行かないかだった。
うぅむ。
究極的な話をするならば、もし今週末で人生が終わるとしたら行くだろう。
しかし、終わらないとしたら・・・?
平日はFAXDM、週末は実家、そして日曜夜はFAXDM
という感じで回していたら
自分だけの時間が無くなってしまっていることに気付いた。
もちろん、実家に行くのだって自分の為でもあるけれど、ちょっと違う。
FAXDMも、自分の為という側面はあるけれど、これもちょっと違う。
まったく誰のことも気にしなくてもいいのなら、自分は何に時間を使うのだろう?
今週末の先も、恐らく人生は続くだろうから
もし実家に行かないとしたらPCのメンテナンスとかするんだろうか?
自分の今の家の片づけとか?
あるいは、自然と触れ合いに行くとか?
普段存在しない場所で普段しないことをしたほうが良さそうな気はする。
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