2019年1月19日土曜日

アディオス、てりおす。

#このブログでは「てりおす」は車種の名称ではなく
#愛車の名前です。
#この程、差別化をはかるため平仮名表記にしてみました。


久しぶりに号泣した。
たぶん、これは
小学生の頃、飼っていたセキセイインコが死んだとき
と同じくらいの悲しさだ。
こんなのは、人生で滅多にないんじゃないかと思った。

てりおすとサヨナラすることを決めた。
車屋さんには
保険料や駐車場代や修理費が払えないから
と言ったけれど、本当はもっと別の理由だった。

私は、無理をしていた。

本当は、交通事故が怖かったのだ。
特に、加害者になるのが。

愛車を失うのは、親友を失うようでとても辛かった。
けれど、ほっとした。
矛盾するようだけれど、事実なのだ。

ビジネスでも何でも、なにかをするときは
リスクも引き受けなくてはならない。
車を運転することの最大のリスクは
交通事故の加害者になることだ。

私はこの恐怖と隣合わせで今まで暮らしてきた。
そのことを改めて認識した。

どれだけしんどいかは、人それぞれだ。
少なくとも、私はもう耐えられなかった。

車が無ければ、不便になる。確かにそうだ。
けれども、交通事故の加害者にはもう成り得ないのだ。
これは、私にとってはとてもほっとすることだった。

ひょっとしたら、自分では知らず知らずのうちに
車にもう乗れないようになりたくて
経済状況を悪化させているのかもしれないとさえ思えた。

愛車を手放したら、自動車保険や駐車場代その他が浮くことに加え
何か、こう、ストレスから解放されることによって
経済状況が良くなるのではないかと思えた。

それを狙って手放すわけではないけれど、なんとなく、そんな気がしたのだ。

愛車を修理する話が一向に進まないのも
私にそう思わせた材料のひとつだった。
往診で一旦元気になったかと思いきや再度不調になり
車屋さんに相談してみたものの
代車がなかなか手配されず、検査待ちの状態だったのだ。

そんなある日、保険会社から手紙が届いた。
満期のお知らせ・・・。
1年分の金額を目にした。
今の私には、払えないと思った。
たとえ分割でも無理だ。
未来の自分自身に支払いの義務を負わせるのは難しかった。

一晩、考えた。
インターネットで車を手放したエピソードをいくつも読んだ。
号泣した。

翌日、思い切って、車屋さんに電話した。
修理の話はちっとも進まなかったのに、この件はすぐに話が着いた。
保険を払えない、という相談・・・

廃車。

ショックだった。
しかし、それしか方法は無いのかと尋ねる元気も無かった。

そして、特に責められることも無かった。
車屋さんはとても爽やかに、引き取りの手配をしますねと言ってくれた。

廃車は辛かったけれど
パーツがどこかの車の一部となって生き続けてくれたらいいと思った。

てりおすは、とてもたくさん駆けたから、車人生を全うできたかもしれない。
ちょっと、乗り過ぎたかなというくらい色んなところに行った。
私の一部を失うようで、とても辛い。
でも、てりおすが居なくなっても、一緒に過ごした時間は無くならないのだ。

今まで私は、へたくそなのに無理して運転してきたふしがあるから
これでちょうど良かったのかもしれない。
もうこれ以上、運転しないほうがいいのかもしれない。
人生、できることをできる時に楽しむのがいいと思う。
私は、この人生で充分車に乗った気がする。
もう、充分なのだ。

不動産屋さんで駐車場の解約手続きをした帰り
バスに乗り、絶対的な安心感に揺られながら、とりとめもなく考えた。